「生きているだけで偉い」という考えの大切さ

前回の記事では「人生」をゲームに例えて色々とお話しさせていただきましたが、その延長線上としてもう少しだけ、それぞれの人が持っている「武器」について触れていきたいと思います。

 

改めまして、この「武器」という言葉は、あくまでそれぞれの人が持つ長所や特技、技術や才能の比喩であるということを認識していただけると幸いです。

例えば、行動力がある・持続力がある・社交性があるといった性格的な側面や、運動能力が高い・絵描きの才能がある・非常に頭がよく勉強ができるといった能力的な側面、またこれらの能力の産物として得られる、資格や専門分野における知識や経験が、人生を生き抜く上での武器となるわけです。

 

私はこれらの武器を持つ人たちを時々羨ましいと感じることがりますし、それと同時に自分には何もないと感じたり、自分の性格に嫌気が指してしまうことも度々あります。

 

そして私と同じように、上ばかりを見てしまったり、悪い方向に物事を考えてりまったり、自分の悪い部分しか目がいかないという方も、数多くいらっしゃることでしょう。

ですが、これはごく自然なことなので全く気にする必要はありません。人間というものは上を見て目標を立てたり、自分の改善点を洗い出して進化してきた生き物ですから。

 

最も大切なのは、「自分には何もないからと思い込んで諦めてしまわないこと」です。

自分の才能や良さというものは中々自分では気づきにくいもので、他人に言われて初めて気づくこともありますし、今の時点で才能はなくとも、「才能の種」というもの誰しも必ず持っています。

 

また、自分に才能や取柄が無いから必死に見出そうと焦ってしまうことも禁物です。

人の才能の開花する時期というもには差があり、人生何十年もあるのですからじっくり育ててゆけばいいのです。

 

私はこれまで辛い時期というものを何度も経験して参りましたが、その際は必ず「生きているだけで偉い」、「人生生き残れば勝ち」という気持ちを必ず忘れないようにしていました。

 

なぜなら、先ほども申し上げたようにどんなに無様であっても、生きてさえいれば自分の才能が開花するとき必ずやってくると信じているからです。

今は何もなくても、とても辛い状況であったとしても、好機は必ずやってきます。才能はきっと開花すると思います。それをじっくりと腰を据えて、待ってやろうじゃないですか。