怒られることが恐いという気持ち

6回目となる今回の記事では、主に私の性格について色々とお話ししたいと思います。

 

私は幼少期から発達障害及び、ADHDの兆候がありましたので、度々失敗や常識外れなことをしてしまい、両親や教師から頻繁に怒られていました。

またそのことが影響してしまったのか、今では失敗を極度に恐れるようになってしまい、怒られることに対しても強い不快感を覚えてしまいます。

 

ですので、収入を得るために働きたいという意志がある反面、失敗や怒られることが恐いという気持ちから、働くことが恐いという気持ちが生じてしまうのです。

 

何事にも失敗はつきものですし、失敗をして怒られることで自身の成長に繋がるのも確かですが、しかし、それがどうしても嫌というのであれば無理をする必要もないだろうと、私は思うのです。

 

なぜなら、「失敗したとしてもあまり怒られない」という状況を作りだせばいいだけのことだからです。

 

働く上で失敗→怒られるという状況が生じるのは、何らかの組織に属している場合がほとんどですので、自営業(飲食店やクリエイター、フリーランス株式投資、youtuber等)で稼ぐという方法もあります。

私の場合、毎日睡眠時間を9時間程とらないと一日中頭がぼーっとしてしまったり、朝に弱かったり、日によって体調の良し悪しが変わるという特性も持っているので、毎日安定的に働くことが難しい私にとっては尚更、この自営業という方法はとても魅力的であると思っています。

 

ですが、この方法を確立するにはそれなりの時間と覚悟を要します。ですので、それまでの間は主にアルバイトで生計を立ててゆこうかと考えています。

 

またアルバイトの中でも、集中力を要するものや接客業などは避け、単純作業のものであったり、ミスが起きにくいものなど、自分の性格に見合った内容のアルバイトを選ぶことも心掛けるべきなのでしょう。

 

 

「生きているだけで偉い」という考えの大切さ

前回の記事では「人生」をゲームに例えて色々とお話しさせていただきましたが、その延長線上としてもう少しだけ、それぞれの人が持っている「武器」について触れていきたいと思います。

 

改めまして、この「武器」という言葉は、あくまでそれぞれの人が持つ長所や特技、技術や才能の比喩であるということを認識していただけると幸いです。

例えば、行動力がある・持続力がある・社交性があるといった性格的な側面や、運動能力が高い・絵描きの才能がある・非常に頭がよく勉強ができるといった能力的な側面、またこれらの能力の産物として得られる、資格や専門分野における知識や経験が、人生を生き抜く上での武器となるわけです。

 

私はこれらの武器を持つ人たちを時々羨ましいと感じることがりますし、それと同時に自分には何もないと感じたり、自分の性格に嫌気が指してしまうことも度々あります。

 

そして私と同じように、上ばかりを見てしまったり、悪い方向に物事を考えてりまったり、自分の悪い部分しか目がいかないという方も、数多くいらっしゃることでしょう。

ですが、これはごく自然なことなので全く気にする必要はありません。人間というものは上を見て目標を立てたり、自分の改善点を洗い出して進化してきた生き物ですから。

 

最も大切なのは、「自分には何もないからと思い込んで諦めてしまわないこと」です。

自分の才能や良さというものは中々自分では気づきにくいもので、他人に言われて初めて気づくこともありますし、今の時点で才能はなくとも、「才能の種」というもの誰しも必ず持っています。

 

また、自分に才能や取柄が無いから必死に見出そうと焦ってしまうことも禁物です。

人の才能の開花する時期というもには差があり、人生何十年もあるのですからじっくり育ててゆけばいいのです。

 

私はこれまで辛い時期というものを何度も経験して参りましたが、その際は必ず「生きているだけで偉い」、「人生生き残れば勝ち」という気持ちを必ず忘れないようにしていました。

 

なぜなら、先ほども申し上げたようにどんなに無様であっても、生きてさえいれば自分の才能が開花するとき必ずやってくると信じているからです。

今は何もなくても、とても辛い状況であったとしても、好機は必ずやってきます。才能はきっと開花すると思います。それをじっくりと腰を据えて、待ってやろうじゃないですか。

人生という名のゲームの攻略法

これまでの記事では少々暗め?の話題になってしまいましたので、4回目となる今回の記事では明るめのテーマでお話して参りたいと思います。

 

早速ですが、皆さんはどのような趣味をお持ちでしょうか?

読書や旅行、料理や買い物等、何かしらの趣味をお持ちのことと思います。私の場合はゲームが好きですので、暇な時間があればよくゲームをしております。

 

そして、いきなり規模の大きい話にはなってしまいますが、人生というものを私の好きなゲームで例えたみたら面白そうだなと、ふと思いましたのでそのことについて少しお話しさせてください。

 

私たち1人1人がそれぞれ、人生という名のゲームにおけるプレイヤーだと仮定し、またゲームですのでゴールというものも設定するとしましょう。

「十分幸せな人生だった。満足した」と思いながら生涯を終えることが、私の思うゴールですが、ゴール自体は皆さんが各々で考えていただいて構いません。

 

そして、私の思うゴールは「十分幸せな人生だった。満足した」と思えることと申し上げましたが、現時点では正直、十分幸せだった、満足したと思えるような人生は送れていません。

まだ、見たい本の続きもありますし、行きたい場所も沢山ありますし、食べたいものも沢山あります。

ですが、これらのこと遂行するには当然、金貨(お金)が必要です。

では、更にこの金貨を稼ぐには何が必要か。そう……!クエスト(仕事)をこなす必要が出てくるわけです。

 

ここでは、そのクエストを魔物退治と仮定いたしますが、素手で挑むのは無謀とも言えるでしょう。ですので、武器やスキル(技術、資格、経験)があれば有利に事を進められ、クエストも遂行できるはずです。

 

ここまで長々と語ってしまいましたが、つまり私は何が言いたいかというと、今の私(無職なりかけ、資格、技術等もない)は何の装備も持っていない状態なわけです。

 

きっと何もなくても(無職でも)クエストに挑むことはできますが、死んでしまいゲームオーバーになってしまう可能性もあり、リスクが高いことは明白です。

 

ですので、まずは努力し何かしらの自分に見合った武器やスキルを得て、金貨獲得に向けてクエストに挑んでゆきたいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

社会不適合者の自分にとって就職活動のハードルがものすごく高く感じた話 part2

3回目となる今回の記事は、前回の記事に引き続き主に「就職活動」での経験談についてお話していこうと思います。

 

私の就活は失敗に終わったと再三述べて参りましたが、では具体的にどのような失敗をしたのか。まずは以下の大まかな就活結果をご覧ください。

 

選考途中で辞退や見限ってしまった企業       多数

比較的志望度高かったけど落ちてしまった企業    2

志望度が高く内定もいただいた企業         1

 

以上が大まかな私の就活の結果ですが、これだけは説明不足ですので上から順に説明いたしまょう。

 

「選考途中で辞退や見限ってしまった企業」とは、言葉の通り自ら選考から退いた企業のことを指しています。私は深刻なほどに世間知らずの人間でしたので、「固定残業制」や「週休二日制」、「人材派遣」という言葉の裏に潜む本当の意味を知りませんでした。ですので、そういった真相に後々気づいたことで選考を辞退するに至りました。

また、企業を選り好みをするようになったのは、その真相に気付くようになった頃だと思われます。

 

では次に「比較的志望度高かったけど落ちてしまった企業」についてです。前回の記事でも述べましたが、私はブラック企業は極力避けようと考えるようになりました。ですので、比較的志望度高かったけど落ちてしまったこの2社というのは、残業がほとんどなかったり、業務内容もさほど大変ではないホワイトな企業でした。

しかし、そのように条件が良かったからと志望動機に書くわけにもいきませんので、それっぽい志望動機を捻り出したわけですが、そのことが影響してしまったのでしょう、いずれの企業も最終面接で落ちてしまいました。

 

そして最後に「志望度が高く内定もいただいた企業」についてです。私は1年ほどバイクで宅配のアルバイトをしていましたので、宅配の仕事してみるのはどうだろうかと考えました。そこで、過酷な労働条件でありふれたドライバー業界の中でも、非常なホワイトな条件で募集している企業がありましたので、その企業を志望するに至りました。

 

その内定をいただいた1社とは生活協同組合でした。仕事内容は準中型車(小さいトラックです)で組合の方々に食料品を配達するというものでしたので、内定獲得後、教習所に準中型車の免許を取りにいくことになったのですが……。

 

私の心はなんと「お豆腐メンタル」でしたので、教官にいびられただけで挫折してしまいました……orz また、そもそも私にはトラックを運転する適性がありませんでした。視力の条件をクリアするために作った眼鏡を付け酔ってしまったり、ぼーっとしてしまったり、考え事ばかりしてしまったり、常に何かが不安だった私は、いつか事故を起こしてしまうと、教習を受けている内に確信するようになったのです。

 

結果、私は免許の獲得を諦め、その内定も辞退する運びとなりました。

 

これらが私の就活の全貌です。最終的には内定が1つも無い状況ですので、失敗に終わってしまいましたが、その分大きな収穫もあったと今は感じています。

 

その収穫とは、自分の性格や特性を再認識できたことでした。

面倒くさがり、お豆腐メンタル、諦め癖、(集中力が持続しない、継続的に1つの物事に取り組むことができない、ミスやなくし物が多い、上の空になりやすい)この辺は恐らくADHDが関連しているのでしょう。

 

これは、1回目の記事「普通の人間」でも少し触れましたが、様々なハンデを背負っている私のような人間は、できることや仕事等も限られてくることと思います。

ですので、次回の記事では私のような人間が生き延びる方法について、より具体的に検討して参りたいと考えております。

 

長文となってしまいましたが、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

社会不適合者の自分にとって就職活動のハードルがものすごく高く感じた話 part1

前回の記事から引き続き読んでくださっている方、そして今回の記事が初めてという方も、当記事へお越しいただき誠にありがとうございます。<(_ _)>

今回は2回目の記事ということで、まだまだ拙い部分もあるかと思いますが、ぜひ最後までお付き合いください。

 

では、早速本題に参りたいと思います。

今回のテーマはずばり「就職活動」です。

 

これから就活を控えている、或いは既に就活を経験しているという方もいらっしゃるかと思いますが、皆さんは就活に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。

自己分析が難しそうor難しかった、面接が不安or不安だった等の印象がある方も多くいらっしゃることでしょう。

 

私の場合は、就活に対する最初のイメージは「真っ白」でした。大学4年生になる直前まで就活なんて気にも留めませんでしたから、エントリーシート?自己分析?なんのこっちゃ?という状態でした。

 

そして1年ほど就活を経験した今の私のイメージは……「真っ白」です。

あれ……?変わっていないのでは?

いえいえ、後者の真っ白は「もう就活なんて考えたくもない」という意味の真っ白です(笑)。

トラウマになりそうなほど、私にとって就活は辛く厳しいものでした。

 

中でも、面接は最大の鬼門でした。

あがり症で緊張してしまう性格故に、面接官の前に座ると頭が真っ白になってしまうこともしばしば。そしてそのせいで失言をしてしまい「あ、絶対落ちた…」とよく落ち込んでしまうこともありました。

また、面接での応答内容に関しても悩みの種でした。私はやりたい仕事が特にありませんでしたので、無難な企業を志望したりもしたのですが、「さして興味もない企業の志望動機を聞かれても……」ですとか、「取柄が無く学生時代に特に何もしてこなかった自分の自己PRやエピソードなんか聞かれても……」と心の中でよく毒づいたものです。

 

それでも、懸命に志望動機を捻り出したり、多少脚色した自らのエピソードを語ったりしたわけですが、そんな自分の捻くれた部分を見透かした面接官もきっといたことでしょう。悉く私は面接に失敗し続けました。

 

面接は経験や場数が大事でそのうちに慣れるともよく耳にしますが、私の場合はその限りではありませんでした。就活エージェントに助言を求めたりyoutubeの動画を漁ったり、応答内容の推敲を何回も重ねたりと色々と試行錯誤をしましたが、それでもダメなものはダメでした。

 

正直、企業は選びさえしなければ適当な受け答えをしたとしても、採用してもらえるところはいくらでもあるでしょう。ですが、ブラック企業は極力避けたかったことと、私の完璧を求める性格が災いしてしまい、もっと他に良い条件の企業があるのでは、もっと他に良い企業が……。というループにはまってしまい、比較的狭き門の企業を選んでしまっていたこともまた事実です。

そのことが就職活動が失敗してしまった一つの要因ともなっていますので、その辺については次回の記事で詳しく綴らせていただければと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「普通の人間」ではない自分ができることは何だろう

はじめまして、shinoharo(シノハロ)と申します。ブログの執筆はこれが初となりますので、至らない点も多々あるかと思いますが、ご了承の程よろしくお願い致します。

 

さて、初めの挨拶はこのぐらいにして、まずは簡単な自己紹介を。

私は現在22歳で男性です。今年の3月で大学を卒業し、4月からは新社会人になる予定……、でしたが。(-_-;)

訳あって就職先が決まらず、今後は無職及び、アルバイト生活という道を辿るかと思われます。

この辺の事情は後程、当ブログにて綴ってゆきたいと思います。

 

今回の記事では、初回ということで今私が一番書きたいことを書こうと思いました。

それがタイトルにもある通り、「普通の人間」についてです。

 

皆さんもこの「普通」という言葉をよく耳にしたり、目にしたりするのではないでしょうか。私もよく見かける言葉だと思いますし、何なら最近はこのことについてばかり考え込んでいたりもします(笑)。

 

そもそも「普通」とは何なのか、ネットの辞書にはこう記されていました。

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。」

まあ、調べるまでもなく普通という言葉の意味は何となく想像がつくでしょう。

つまり、「普通の人間」とはごくありふれた人や、当たり前のことができる人のことを指すわけです。

 

しかし、私は昔からそのような普通の人間ではありませんでした。

空気が読めなかったり、善悪の判断基準が曖昧であったり、物忘れがひどかったり、他の人が当たり前のようにしていることができなかったりと、他にも挙げ出したらきりがありませんが、

これらのことがきっかけで昔からクラスでは浮いた存在となり、悪気はありませんでしたが、よく教師に怒られたりもしました。

 

そして、その欠点は就活において顕著に現れました。多くの同級生がどんどん内定を獲得し進路を定めてゆく中、私は約1年ほど就活に時間を費やしたにも関わらず、就職先が決まらないまま大学生活を終えようとしています。

 

私の欠点が就活にどのように作用したのかについても、後程詳しく綴る予定ですが、つまることろ今の私は「普通の人間」というものに憧れを持っているのです。

 

どうして私だけできないのか、どうして私だけこんな性格なのか、どうして、どうして……。

という思いがずっと頭の中をぐるぐると彷徨い続け、時々自殺してしまいたいとすら思ってしまう自分ですが、やはり現状を嘆くだけでは何も変わりません。(-_-;)

 

ですので今は普通の人間ではない私が、これからの人生を歩み続ける方法についても模索しています。

 

就活が失敗したことに加え、ADHD持ちで失敗を極度に恐れる性格故に、普通に働くのは厳しい私が、それでもこの先生き残ってゆける方法というものが見つかれば、私の内にあるこのもやもやとした気持ちも幾分か晴れるのではないかと、そう思うのです。