「普通の人間」ではない自分ができることは何だろう
はじめまして、shinoharo(シノハロ)と申します。ブログの執筆はこれが初となりますので、至らない点も多々あるかと思いますが、ご了承の程よろしくお願い致します。
さて、初めの挨拶はこのぐらいにして、まずは簡単な自己紹介を。
私は現在22歳で男性です。今年の3月で大学を卒業し、4月からは新社会人になる予定……、でしたが。(-_-;)
訳あって就職先が決まらず、今後は無職及び、アルバイト生活という道を辿るかと思われます。
この辺の事情は後程、当ブログにて綴ってゆきたいと思います。
今回の記事では、初回ということで今私が一番書きたいことを書こうと思いました。
それがタイトルにもある通り、「普通の人間」についてです。
皆さんもこの「普通」という言葉をよく耳にしたり、目にしたりするのではないでしょうか。私もよく見かける言葉だと思いますし、何なら最近はこのことについてばかり考え込んでいたりもします(笑)。
そもそも「普通」とは何なのか、ネットの辞書にはこう記されていました。
「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。」
まあ、調べるまでもなく普通という言葉の意味は何となく想像がつくでしょう。
つまり、「普通の人間」とはごくありふれた人や、当たり前のことができる人のことを指すわけです。
しかし、私は昔からそのような普通の人間ではありませんでした。
空気が読めなかったり、善悪の判断基準が曖昧であったり、物忘れがひどかったり、他の人が当たり前のようにしていることができなかったりと、他にも挙げ出したらきりがありませんが、
これらのことがきっかけで昔からクラスでは浮いた存在となり、悪気はありませんでしたが、よく教師に怒られたりもしました。
そして、その欠点は就活において顕著に現れました。多くの同級生がどんどん内定を獲得し進路を定めてゆく中、私は約1年ほど就活に時間を費やしたにも関わらず、就職先が決まらないまま大学生活を終えようとしています。
私の欠点が就活にどのように作用したのかについても、後程詳しく綴る予定ですが、つまることろ今の私は「普通の人間」というものに憧れを持っているのです。
どうして私だけできないのか、どうして私だけこんな性格なのか、どうして、どうして……。
という思いがずっと頭の中をぐるぐると彷徨い続け、時々自殺してしまいたいとすら思ってしまう自分ですが、やはり現状を嘆くだけでは何も変わりません。(-_-;)
ですので今は普通の人間ではない私が、これからの人生を歩み続ける方法についても模索しています。
就活が失敗したことに加え、ADHD持ちで失敗を極度に恐れる性格故に、普通に働くのは厳しい私が、それでもこの先生き残ってゆける方法というものが見つかれば、私の内にあるこのもやもやとした気持ちも幾分か晴れるのではないかと、そう思うのです。